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現在は書体作りの黄金時代のように思えます。かつてない数の書体ファウンドリー、フォントをテーマにしたブログや雑誌が林立し、一般向けのメディアでフォントが話題になることもあります。また、新しい書体デザイン学習コースが定期的に開かれ、無数の書体デザイナーを送り出しています。さらに、ネットでは約15万書体以上ものフォントがダウンロード可能になっています。 以上のようなフォントへの熱い眼差しやかつてなく充実した書体デザイン環境にもかかわらず、続々と生み出される新しい書体のほとんどは絶望的なまでに創意を欠いています。音楽市場においてカバーヴァージョンやリミックスのほうが新曲よりも人気を集めやすいのと同様に、書体デザイナーたちは過去に成功した事例にならおうとするばかりで、新しい方法を探求しようとしていないようにみえます。少し昔であれば新しい書体は発売元の美的、技術的基準にもとづく厳重な審査を経て世に送られたものでした。現在の自主制作・自主流通ではそのようなプロセスが消失し、批判的検証がなく、この職能を発展させるための新しい努力もほとんどなされなくなりました。品質が低下するともに、凡庸さが蔓延しているのです。多くのブログ(印刷メディアも含め)は、マーケティング上の売り文句と独自メディアとしての言葉の区別に無自覚なまま、プレスリリースをまとめなおしただけの記事をのせ、独創的でないフォントを褒め、月並みがあふれかえる現代の状況に一役買っています。多くのデザイン賞も同じで、優れた品質のありかたについて間違った考え方を広めています。そんな新しいフォントは、もう要りません。 私はType &Media(ハーグ王立美術学院の書体デザインコース)で長年教鞭を執りながら、それ以前に書体デザインの経験がない学生たちが数多く入学してくるのを目にしてきました。8ヶ月の履修期間のなかで学生たちは文字の形態構造やよくデザインされた書体、つまり、常にきわだって独創的というわけではありませんが、間違いのない、説得力のある仕上がりのある書体を作るための構成原則を学びます。書体作りの基本をひととおりマスターした学生たちは、自らの技能をどのように応用できるか考えるステージに進みます。いかに多くの労力が注がれようと、そのことが既存モデルに近すぎる書体を正当化しないのは明らかです。あるいは、私のタイプ&メディアでの同僚であるエリック・ファン・ブロックランドの言葉を借りれば「もしすでにある書体で上手くやれるなら、新しい書体をつくる理由はどこにもない」のです。 今日、書体の原図を描く多くの学生は確かなドローイングの技術こそ持っていますが、独自のデザインを考案してこの専門領域を前進させようという気概(反骨は言うまでもなく)を持っていません。私たちは彼ら、彼女らを書体デザイナーと呼んでいいのでしょうか? 少なくとも早く正確に文字を打てる人を「物書き」と呼ばないのと同じような意味で、私はそう思いません。少なく見積もって内容が形と同様に重要であり、私たちが表明する思想そのものがその表明の仕方と同様に大切なのです。 いまだ生み出されていないけれども、私たちが必要としている書体はまだまだあります。過去に縛られるのではなく、現代に生きる私たちのリアリティに応えるような書体。非ラテンアルファベット系文字の使い手に選択肢の幅を広げる書体。過去のメディアから新しいメディアへと読者を接続する書体。どう書体をデザインするかではなく、なぜ書体をデザインするのか、その理由について考えるときが来ています。Click to Edit
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現在は書体作りの黄金時代のように思えます。かつてない数の書体ファウンドリー、フォントをテーマにしたブログや雑誌が林立し、一般向けのメディアでフォントが話題になることもあります。また、新しい書体デザイン学習コースが定期的に開かれ、無数の書体デザイナーを送り出しています。さらに、ネットでは約15万書体以上ものフォントがダウンロード可能になっています。 以上のようなフォントへの熱い眼差しやかつてなく充実した書体デザイン環境にもかかわらず、続々と生み出される新しい書体のほとんどは絶望的なまでに創意を欠いています。音楽市場においてカバーヴァージョンやリミックスのほうが新曲よりも人気を集めやすいのと同様に、書体デザイナーたちは過去に成功した事例にならおうとするばかりで、新しい方法を探求しようとしていないようにみえます。少し昔であれば新しい書体は発売元の美的、技術的基準にもとづく厳重な審査を経て世に送られたものでした。現在の自主制作・自主流通ではそのようなプロセスが消失し、批判的検証がなく、この職能を発展させるための新しい努力もほとんどなされなくなりました。品質が低下するともに、凡庸さが蔓延しているのです。多くのブログ(印刷メディアも含め)は、マーケティング上の売り文句と独自メディアとしての言葉の区別に無自覚なまま、プレスリリースをまとめなおしただけの記事をのせ、独創的でないフォントを褒め、月並みがあふれかえる現代の状況に一役買っています。多くのデザイン賞も同じで、優れた品質のありかたについて間違った考え方を広めています。そんな新しいフォントは、もう要りません。 私はType &Media(ハーグ王立美術学院の書体デザインコース)で長年教鞭を執りながら、それ以前に書体デザインの経験がない学生たちが数多く入学してくるのを目にしてきました。8ヶ月の履修期間のなかで学生たちは文字の形態構造やよくデザインされた書体、つまり、常にきわだって独創的というわけではありませんが、間違いのない、説得力のある仕上がりのある書体を作るための構成原則を学びます。書体作りの基本をひととおりマスターした学生たちは、自らの技能をどのように応用できるか考えるステージに進みます。いかに多くの労力が注がれようと、そのことが既存モデルに近すぎる書体を正当化しないのは明らかです。あるいは、私のタイプ&メディアでの同僚であるエリック・ファン・ブロックランドの言葉を借りれば「もしすでにある書体で上手くやれるなら、新しい書体をつくる理由はどこにもない」のです。 今日、書体の原図を描く多くの学生は確かなドローイングの技術こそ持っていますが、独自のデザインを考案してこの専門領域を前進させようという気概(反骨は言うまでもなく)を持っていません。私たちは彼ら、彼女らを書体デザイナーと呼んでいいのでしょうか? 少なくとも早く正確に文字を打てる人を「物書き」と呼ばないのと同じような意味で、私はそう思いません。少なく見積もって内容が形と同様に重要であり、私たちが表明する思想そのものがその表明の仕方と同様に大切なのです。 いまだ生み出されていないけれども、私たちが必要としている書体はまだまだあります。過去に縛られるのではなく、現代に生きる私たちのリアリティに応えるような書体。非ラテンアルファベット系文字の使い手に選択肢の幅を広げる書体。過去のメディアから新しいメディアへと読者を接続する書体。どう書体をデザインするかではなく、なぜ書体をデザインするのか、その理由について考えるときが来ています。Click to Edit
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膨大なフォントが手軽にダウンロードできるいま、これ以上新しいフォントを作る必要があるのでしょうか? 私たちは新しい書体を作る意味についてあらためて考える時期に来ています。創意のない新書体作りに必然性がない一方、本当に必要とされているのにまだ生み出されていない種類の書体があるのです。Click to Edit
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在は書体作りの黄金時代のように思えます。かつてない数の書体ファウンドリー、フォントをテーマにしたブログや雑誌が林立し、一般向けのメディアでフォントが話題になることもあります。また、新しい書体デザイン学習コースが定期的に開かれ、無数の書体デザイナーを送り出しています。さらに、ネットでは約15万書体以上ものフォントがダウンロード可能になっています。 以上のようなフォントへの熱い眼差しやかつてなく充実した書体デザイン環境にもかかわらず、続々と生み出される新しい書体のほとんどは絶望的なまでに創意を欠いています。音楽市場においてカバーヴァージョンやリミックスのほうが新曲よりも人気を集めやすいのと同様に、書体デザイナーたちは過去に成功した事例にならおうとするばかりで、新しい方法を探求しようとしていないようにみえます。少し昔であれば新しい書体は発売元の美的、技術的基準にもとづく厳重な審査を経て世に送られたものでした。現在の自主制作・自主流通ではそのようなプロセスが消失し、批判的検証がなく、この職能を発展させるための新しい努力もほとんどなされなくなりました。品質が低下するともに、凡庸さが蔓延しているのです。多くのブログ(印刷メディアも含め)は、マーケティング上の売り文句と独自メディアとしての言葉の区別に無自覚なまま、プレスリリースをまとめなおしただけの記事をのせ、独創的でないフォントを褒め、月並みがあふれかえる現代の状況に一役買っています。多くのデザイン賞も同じで、優れた品質のありかたについて間違った考え方を広めています。そんな新しいフォントは、もう要りません。 私はType &Media(ハーグ王立美術学院の書体デザインコース)で長年教鞭を執りながら、それ以前に書体デザインの経験がない学生たちが数多く入学してくるのを目にしてきました。8ヶ月の履修期間のなかで学生たちは文字の形態構造やよくデザインされた書体、つまり、常にきわだって独創的というわけではありませんが、間違いのない、説得力のある仕上がりのある書体を作るための構成原則を学びます。書体作りの基本をひととおりマスターした学生たちは、自らの技能をどのように応用できるか考えるステージに進みます。いかに多くの労力が注がれようと、そのことが既存モデルに近すぎる書体を正当化しないのは明らかです。あるいは、私のタイプ&メディアでの同僚であるエリック・ファン・ブロックランドの言葉を借りれば「もしすでにある書体で上手くやれるなら、新しい書体をつくる理由はどこにもない」のです。 今日、書体の原図を描く多くの学生は確かなドローイングの技術こそ持っていますが、独自のデザインを考案してこの専門領域を前進させようという気概(反骨は言うまでもなく)を持っていません。私たちは彼ら、彼女らを書体デザイナーと呼んでいいのでしょうか? 少なくとも早く正確に文字を打てる人を「物書き」と呼ばないのと同じような意味で、私はそう思いません。少なく見積もって内容が形と同様に重要であり、私たちが表明する思想そのものがその表明の仕方と同様に大切なのです。 いまだ生み出されていないけれども、私たちが必要としている書体はまだまだあります。過去に縛られるのではなく、現代に生きる私たちのリアリティに応えるような書体。非ラテンアルファベット系文字の使い手に選択肢の幅を広げる書体。過去のメディアから新しいメディアへと読者を接続する書体。どう書体をデザインするかではなく、なぜ書体をデザインするのか、その理由について考えるときが来ています。Click to Edit
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